弘法寺由来弘法寺由来

弘法寺の由来

野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度にわたり登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。

伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。

大師堂の堂字の起源は、
明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改修を経て大師堂は宗教法人『弘法寺』となり、現在に至っています。

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